古代中国医学は巫(祝由)を否定したのか?

鍼灸は西洋医学的発想だけでそれなりに効き、それだけで治療院も繁盛させられることができる。しかし古典にのっとってマジカルな面を取り入れないと効かないものも多々ある。中国医学の基礎を作った人たちは巫(素問では祝由)を否定したのだろうか?

『史記』の扁鵲倉公列伝に「信巫不信醫、六不治也」という言葉が出てくる。「巫を信じ醫を信じない者を六番目の不治という」意味であるが、「信巫不信醫」を「マジカルなものを信じて医者を信じない者=>マジカルを信じる者」という解釈がよくされてきた。しかし巫の意味と文脈を誤解していると思われる。これは「巫を信じかつ醫を信じない者」と読むべきだろう。そう読むと、「巫も醫も信じる者は省かれるのでは?」という疑問が生じる。

扁鵲倉公列伝の記述では「扁鵲に巫の要素を感じられるが?」なんて、極めて簡単な、大学受験レベルにも達しない疑問湧いてくる。

また同じ巫の系統であっても巫本来の意味であるシャーマンと道士は違う。

『内経』しかり。有名な王冰にしろ皇甫謐や李時珍にしろ道士だよ?

王冰の素問注は老子の宗教観にもとづいている。『内経』の異本である皇甫謐の『甲乙経』は本神論から始まっているように、修行者目線で編纂されているように思われる。最初の方は身体曼荼羅を観想しやすい並び。明代の李時珍の著作には行者の観想法が散りばめられている。

そもそも黄帝の師匠の岐伯も仙人の系譜でしょう。『鍼灸指南』の竇漢卿は少林寺のある少室山の仙人。道教は表に出てきている人たちも多いが、密教的なのは口伝で、基本的に門内の人にしか教えない伝統は今でも続いている。

岐伯は「黄帝はこの世を治める人間やから巫の要素はできるだけ省いて最小限にしておいてやろう」「オレのやり方とは違うけど、こうやったら?」って黄帝に語っている節はある。

いずれにせよ、黄帝内経を読むと神秘主義的な思想がベースにあるのは確実であるにもかかわらず、少なくとも20世紀においてはそれを否定するような論考が尊重されていた。それを見直す時期にきていると思う。