古典鍼灸・伝統鍼灸~伝統の伝承について

サンスクリットとヴェーダーンタの思想を勉強しています。サンスクリットはインドに古くからある公用語でお経や思想書を書くための言語です。仏教書なんかもサンスクリットでたくさん書かれました。東洋の漢文みたいなものです。ヴェーダーンタは「ヴェーダのおわり/最後」といった意味で、ヴェーダやウパニシャッドを軸としたインドで最も正統派の思想・宗教です。先生はヴェーダーンタを古来から伝えてきた流派のバラモンに弟子入りして学んだ日本人の女性です。

サンスクリットもヴェーダーンタも学生時代授業で学びました。大学ではインド学を専攻していたのでサンスクリットは必修でしたし、ヴェーダーンタをはじめとするインドの六派哲学の概要なんかを習いました。ヴェーダーンタの重要文献であるバガヴァット・ギーターをサンスクリットで読む授業も受けました。卒論はヨーガ・スートラというヨーガの古いお経をサンスクリットで読んでテーマにしました。しかし大学で学んだものと今教わっている先生から学ぶものとはまったく違ったものでした。なんといいますか、今受けている授業はサンスクリットにしろヴェーダーンタの思想にしろ、宗教的命が生きている授業なんです。なぜかというと、古典文献に対する態度が全く違うからです。

今の大学で行われているインド学系の授業の大半は、近代のヨーロッパで作られたインド学なんですね。イギリスがインドを植民地にしてインドの統治のためにインドの宗教・思想を研究しました。サンスクリット文法もヨーロッパの言語学的発想で再構築されたものです。それはインドの宗教的伝統で伝える方法とはまったく違うものです。今の私はインドの宗教的伝統をふまえて学んだ先生からまなんでいますが、大学での学びとはまったく世界が違います。。

どこの地域でもいっしょなのでしょうが、古典文献を読むときに重要なポイントがいくつかあります。そのひとつは、古典文献って読んでもらうために書かれたものと、師から弟子へ伝える教えを暗記しやすいようにコンパクトにまとめたものや修行のための手順を書いたものがあることを意識して読むという点です。読んでもらうために書かれたものは、理解してもらうために書いているので注釈書や関係資料をふまえて精緻に読み込めば理解は比較的容易です。しかし口伝での説明を前提にしてコンパクトにまとめたものや、修行の手順は、それを作った流派の伝承者から直接教わらない限り、正確に読み込めないのです。注釈書があってもその人の独自の解釈であることが多く、それが本来の意味なのかはわかりません。どんなに天才的頭脳を持ってして文献を読み込んでも、教えを師から直接受けない限り分からない世界があります。

インドでもチベットでも古い教えを正確に学ぶためには経典やその注釈書と師の口伝と灌頂 が必要であるという考えがあります。代々、師から弟子へ口伝によって伝えられてきた解釈を学びます。そこには個人的解釈による歪曲がほとんどないです(ということになっている)。灌頂 は経典を記した聖者の悟りの意識の種を弟子に受け継がせる儀式です。師と弟子が瞑想状態に入って種を受け継がせます。弟子は師の口伝を元に経典を日々実践して灌頂 によって受け継いだ悟りの意識を育てていくのです。そうやって目的地へよたよた歩いて行くわけです。

さてここからが本論で、中国医学もおなじことなんです。古典文献には読ませるため、伝えるために詳しく書かれたものと、師の口伝をもとに書かれたものがあります。後者に相当する文献が、中国医学の『黄帝内経』や『難経』『傷寒論』です。それらの文献はいくら後代の注釈書を読んでも本来の意味はわかりません。仙学は別にして灌頂 に相当するものは医学ではありませんけれども、実際の技術そのものは手取り足取り教わらないと無理です。灌頂 による意識の種ではなくて、手取り足取りによる身体性の種の伝授ですね。

問題はインドやチベットみたいにそういう伝統を代々受け継いでいる人がいるのか?という点です。これはまた別の機会に書きたいと思いますけれども、そういう人はいます。中国では文化的にそういう人が表に出てこられないようになっています。出てきたら潰されて伝統が途絶えるからあまり表にで出てきません。しかし辛亥革命・支那事変・国共内戦・文化大革命と、おおきな政変を経て国外へ逃げだした人たちがいます。そういう人たちが政治的に安定し自由を保障された土地で定住するようになって、少しずつ世に出始めているようです。そういう伝統と出会えることがあればこの上ない幸せかと思います。中国国内で受け継ぐ人たちは一子相伝のようなかたちになっていて、伝統を伝える人に出会っても、素通り、分からずに通り過ぎてしまうでしょう。大阪弁で「ほんまかいな?(ほんとうですか)」という疑問を持つ方がおおいかもしれませんが、本当です。若い志を持った人たちに、そういう世界があるのだということを知って欲しいです。。

追記

以上は古典を正確に読み込むという観点から述べたもので、治療成績とはまったく別の話です。医学は治療である以上、治療効果が出ないとまったく意味はありません。独自の解釈や伝統にとらわれないでまったく独創的な大系を構築して治療効果をあげることもありますが、それはまた別の話です。それについてはまた別に書きましょう。

密教と中国医学の五蔵身体観

シリーズ密教 中国密教』(春秋社)という本を買ったので読んでいます。このなかに「五蔵身体観の神秘」という論文が掲載されています。

インドの古代思想には五大説、つまり地水火風空の要素で世界を見ていくという思想があります。仏教、とくに密教でもこれを積極的に取り入れ、身体に対する瞑想法が編み出されました。密教ではさらに五仏と五智が対応づけられます。五仏というのはいつつの如来で、五智はその智恵です。中国入ってくると五大・五仏・五智に中国医学の五蔵が関係づけられたのですね。この論文ではそのあたりのことを簡単ですが論じられています。論文には指摘されていませんが、密教の成仏観だけでなく、五臓の健康を観想でコントロールするためにも関係づけられたんだと思います。

中国には仏教が入ってくる以前から五行思想がありました。木火土金水の五行ですね。これに体の肝心脾肺腎の五蔵を対応させています。仏教が入ってきたときに、五大・五行・五蔵を対応させ流試みがなされました。日本でもその影響を受けて、真言宗中興の祖である覚鑁上人が『五輪九字秘密釈』という著作で五大と五蔵を関係づけて体を観想する方法を論じておられます。その影響を受けてか、日本の戦国末から江戸初期にかけてかけて、五行ではなく、五大・五仏・五智と五蔵を関係づける治療をするこころみがなされていたようです。

しかし五大と五蔵を関係づけるときに混乱が生じます。これはいまでもいらっしゃるのですが、中国医学の五蔵を解剖学的五蔵ととらえることから生じる混乱です。中国医学で五行と関係づけられる五蔵は解剖学的な五蔵ではなく、人体の「気」という概念を五つにわけて五蔵としたのですね。本来は両者を厳密に区別していましたが、「人体の気(中国医学では魄とよびます)」は一種の霊的な体なので普通の医学者はなかなか理解できなかったので混乱したのでしょう。

五大は地水火風空の順番に並んでいますが固いものから気体・見えないものへ並んでいます。例えば水が氷・水・沸騰水・水蒸気と変化していくようなものですね。それを人体にあてはめたのが五輪塔であり、その思想の背景にあるのが密教の五大・五仏・五智の思想です。

それに対して五行の木火土金水に対応させる肝・心・脾・肺・腎はこういう発想で作られたものではありません。別の発想で並べられています。しかし五臓を五大と同じ視点で考える発想がなかったわけではありません。体を腎肝脾心肺に並べ骨・緊・肌肉・血脉・皮と対照させる考え方があります。この視点は五臓を五大と同じ視点で考えられています。中国医学の五臓分類といっても視点が違う考えがあったのです。それらを考えた人は視点の相違をきっちり理解して作ったのでしょうけれども、後代の人で口伝を受けなかった人たちには分からなくなったのだと思われます。

さて、ここから本論です。結論からいうと密教にある解剖学的な五臓に五仏・五大・五智に対応させる観想は無理があるのではないかということです。密教の五大・五仏・五智の思想は理論的な整合性をとる試みがなされているんですけれども、上に述べたように解剖学的な五臓と関係づけられたときに混乱というか無理が生じるだろうということです。発想の視点が違うので。

もし五大・五仏・五智と五臓を関係づけるのであれば骨・緊・肌肉・血脉・皮に対応させた腎肝脾心肺に対応させることでしょうね。それだと生起次第が作れそうです。しかし本来、五大・五仏・五智と関係づけるべきなのは見える体と見えない体(霊的な体=魄)をコントロールするチャクラと関係させるべきものでしょう。実際に密教の究境次第ではそうなっています。

それについてはいろいろ専門書・入門書が出ています。たとえば平岡宏一先生の『秘密集会タントラ概論』、ツルティム・ケサン先生の『チベット密教 図説マンダラ瞑想法』、ツォン・カパ著ツルティム・ケサン先生訳『チベットの密教ヨーガ』あたりです。どれも密教の生起次第・究境次第の訳と解説書です。

これらは中国の内丹術と重なる部分です。私は知らないですが密教が中国に入ってきたときに、密教側で内丹と融合が試みられたのかもしれません。。。。

慢性疲労症候群(CFS)の脳内炎症を抑える鍼灸治療

当院で、慢性疲労症候群(CFS)の患者さんを治療するときに最重要視するのは、CFSの主要症状のひとつである微熱を下げて安定させることです。陽電子放射断層画像法(PET:Positron Emission Tomography)で脳を観察すると、脳で広範囲に炎症が見られ、CFSの症状と関係していることが徐々に分かってきたんですね。脳内の炎症と微熱が密接に関係しているのだと推察されます。

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中国医学の本流は道家思想にある

「これが道ですと示せるような道は、恒常の道ではない。これが名ですと示せるような道は、恒常の名ではない。」
~蜂屋邦夫訳注 『老子』 岩波文庫~
昨日の勉強会の帰りに買ったこの『老子』の註釈は、この20年ほどの出土文献の研究成果がふまえられていて、とてもよい。すでに他の『老子』を読んだことがある方でも、買う価値はあると思う。

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