マニ車をラサのお土産にいただきました

チベットのラサに行ってこられた患者さんにマニ車のストラップをいただきました。

マニ車というのは、円筒の側面に観音菩薩のマントラ(真言)が刻まれ、中には経文が収められている、くるくる回す仏具のことです。手に持って回すタイプの物から、寺院に設置されて手のひらで回す大型のものまであります。オンマニペメフーンというマントラを唱えながらこの筒を回すと読経と同じ功徳が得られるとされています。今回いただいたのは手に持つタイプのストラップ版でちっちゃいけどきれいで結構気に入っています。

多くのチベット仏教徒は手に持つタイプのものをもって、祭壇の前でオンマニペメフーンを何度も何度も唱えながら観音菩薩の加持を念ずるのです。

菩薩というのは仏陀の悟り・解脱を求めつつも、完全に悟ってしまえば衆生を救うことができないため、あえて解脱をせず、衆生の世界にとどまっている慈悲の修行者のことです。大乗仏教ではあえて解脱をせず、仏の加持力を悩み苦しむ衆生のために伝える救済活動をする菩薩を、修行者の理想としたのです。菩薩の救済活動によって衆生は仏の加持を得ることができるということなのです。まあ菩薩は仏の変化身ともいえます。

チベット仏教の法要では導師の先導のもと、僧俗いっしょにオンマニペメフーンとお唱えすることがよくあります。このときにマニ車を持っている者はマニ車を回しながらお唱えします。

今回お土産にいただいたキーホルダですが、ちいさいのにちゃんとベアリングが入っていてくるくる回ります。とりあえずお加持を得るためにストラップ部分を外して、待合室にあるチベット仏教の祭壇の前でときどき回しています。

オタクの話1

観音菩薩は観世音菩薩、あるいは観自在菩薩と漢訳されていますが、この違いはもとのサンスクリットの違いに由来しているとされています。

観世音菩薩の元のサンスクリットは「avalokitasvara」といって、「avalokita 観察された」という単語と「svara 音・声」という単語の複合語です。

それに対して観自在菩薩の元のサンスクリットは「Avalokiteśvara」で、これは「avalokita 観察された」と「īśvara 自在者」という単語の複合語です。単語が接合するときにavalokitaのaとīśvaraのīがeに母音変化しています。意味としては「世間を自由自在に観察できる存在」といったニュアンスです。

日本人に一番なじみ深いお経の般若心経は「観自在菩薩行深般若波羅蜜多・・・」と始まりますね。般若心経では観自在菩薩の漢訳が採用されています。

オタクの話2

オン・マニぺメ・フーンという、マントラはサンスクリットの「oṃ maṇipadme hūṃオン・マニパドメ・フーン」がチベット語風に訛ったものです。観自在菩薩のマントラで、サンスクリットでもチベット語でも六文字表記になるので六字大明呪ともいいます。漢訳では唵嘛呢叭咪吽と音写されるのですが、京都の萬福寺を本山とする黄檗宗で使われる経典にも出てきます。

意味ですが、
(oṃ、オーン):インドの宗教では聖なる音とされる呪文でa・u・mという母音と子音が合成されるときに変化したものです。
(maṇi、マニ):「宝石」や「宝珠」を意味します。
(padme、パドメ):「padma 蓮」という単語が場所をあらわす格変化したもので「蓮の中において」とか「蓮の上において」という意味になります。英語なら「in ~」「at ~」といった前置詞の意味をなすものです。
(hūṃ、フーン):成就をねがうかけ声です。

日本密教に伝わる真言でも「唵 オン」からはじまって「唵 ウン」で終わるものがいくつもあります。

チベット仏教では宝石を表すマニは慈悲や菩提心、蓮を表すパドマは煩悩を乗り越え、悟りの境地に至る清らかな心・智慧をあらわすとされています。オンマニペメフーンのマントラは慈悲や菩提心・智慧を備えたのが観自在菩薩に加持をお願いするものというわけですね。

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