エルヴィン・フォン・ベルツ博士が礼賛する昔の日本食

驚異の体力を持つ人力車夫のお話

ベジタリアンや昔の日本食のすばらしさを述べる人たちは、次のような逸話をよく引用します。

ベルツが東京から日光への移動際に、車夫が無交代で14時間運んだ。その時の車夫の食事は玄米おにぎり・梅干し・味噌大根の千切り・沢庵で、日常食は玄米・大麦・粟・じゃが芋・百合根であったという。車夫の脅威のスタミナにベルツは驚き、車男が肉を食べれば更にパワーが出るか実験をしたが、車夫は疲弊した。日本人は長い歴史の間、玄米と雑穀を主食に野菜と海藻を食事にし、西洋栄養学よりも日本食が合ったという。ベルツによると欧米人の方が腸が短く、肉食歴史の短い日本人は肉類消化に時間が掛かり、肉類内のタンパク質と脂質は腸内で腐敗・酸毒化しやすく、長い腸内で老廃物が長時間血液を汚して細胞と組織を劣化させ、色々な病気を発症させるという。

Wikipedia 「エルヴィン・フォン・ベルツ」より

ベルツ博士は、明治時代に東京医学校(後の東大医学部)の内科正教授としてドイツから招聘された方です。29年の長きにわたって教鞭をとり、日本の近代医学の基礎を担った一人でした。

上記の話はよく引用されますが、どれを読んでも出典がよくわかりません。Wikipediaにも孫引きとしてまとめられているだけです。ところが「出典はこれだろう」という指摘をFacebookで見かけました。明治三十四年九月二十日に発行された『中外醫亊新報』の21ページにある短い文章です。これはベルツ博士本人の文章ではなく、Berliner Klinische Wochenschrift(ベルリン臨床医学週報)1901年26号掲載の論文をまとめた記事のようです。筆者の肩書きは醫學士K.Kと末尾にありますから、医学校を卒業した医師もしくは研究者なのでしょう。

以下にデータ化して引用しておきます。スキャンして手直ししたのですが、本の文字にコンピュータの文字コードにないものがあるので、それは他のもので代用しています。間違いがあればご指摘ください。

現代語訳しようかとも思ったのですが、明治のかな混じり文章なので、文字起こしだけにしておきます。ご要望があれば翻訳してもいいですが。。。

植物食ノ多衆榮養ト其堪能平均トニ就キテ 原文

植物食ノ多衆榮養ト其堪能平均トニ就キテ
(Berl. klin. W. No. 26, 1901.)

『中外醫亊新報』明治三十四年九月二十日発行(二十一頁)、通巻五百六十号(千二百六十七頁)より


ベルツ氏本年三月廿日ノ伯林醫學會ニテ本題ニ就キ講演セラル、大要次ノ如シ日本人民ハ習慣若クハ天然ノ偶數ニヨリ大部分植物性食物ヲ主トスルモノニシテ歐人ノ眼ヲ以テ日本の食物ヲ観レハ其蛋白質含有ノ尠少ニ脂肪管ノ更二僅微ナルヲ怪ムナラン而シテ角力者ノ如キハ其脂肪沈著甚シキニ拘ラズ脂肪攝取量は遙ニヴヰイト氏定則ヨリ少ク蛋白質ノ如キモ多クトモ七十%過キサルナリテ依テ二十三年前二既二次推論ヲ下セリ


一、脂肪ハ含水炭素ヨリ成生スヘシ
二、ヴォイト氏ノ食物中の蛋白質 に對スル要求二十乃至三十%程高キニ過クベシ
三、日本下等社會及勞働者ノ主食タル植物性食物ヲ以テスルモ久シク力業ニ従事スルニ足ル


當時人見以テ怪奇ノ臓説ト爲セリ而ルニ爾來ケルネル氏森氏ト共ニ日本食二就キ考究スル所アリ、日本ノ植物食ハ堪能アル有機體ヲ保維スルニ不十分ナリトノ結論ヲ下セシモヒルシュフェルド氏隈川氏ノ如キ出テ、遂ニ、我推論ヲ験定シタリ而ルニ現今趨勢亦タ從来ノ如ク食品ノ化學的構造ヲ論スルヨリモ食物ノ各因子ノ溫量ヲ談シ窒素ノ平均トイフ二重キヲ措クニ至レリ


然ルニベ氏食物價値ヲ定ムルニ有機體ノ堪能即チ堪能ノ平均ヲ以テスヘシトナセリ詳言スレハ人ヲシテ其習慣セシ

要約ノ下ニ措キ通常日用ノ食物ヲ取ラシメ長時例セハ一ヶ月モ強作業ニ就カシムルモ體重ノ損失ナク終始同一ノ輕妙ヲ以テ同作業ニ従事スルヲ得ルヤ否ヤヲ試験スル法是ナリ、氏の二人の人力車夫ニ就キ同試験ヲ行へリ兩人共ニ少壯ニシテ一ハ二十二歳一ハ二十五歳ニシテ年餘同職業従事セシモノトス其飲食物ヲ精秤シ食物ノ化學的成分ヲ測算ス作業ーシテハ十基呂ノ男子ヲ車ニ載セテ三週間一日四十基呂迷宛驅走セシム


試験中ノ食物は依然従来ノモノヲ取ラシメ分析上其脂肪含有量ハヴェイト氏定則ノ半部ヨリ以下ニシテ蛋白質ハ其六十乃至八十%ノ間ニアリ反之含水炭素ハ非常ニ多量ニシテ米、馬鈴薯、大麥、栗、百合根其他日用食品 ヨリ成レリ而シテ十四日ノ後ニ體重を評定シタルニ一人ハ依然同量ニシテ他ノ一人ハ半磅程増加セリ、之ヨリ肉類ヲ混食セシメ蛋白質ニテ含水炭素ノ一部ヲ補ハント試ミシモ之カ爲ニ疲勞ヲ覚エ驅走前日ノ如キヲ得サルヲ以テ三日ニシテ之ヲ歇メンコヲ乞ウ依テ原食物ニ復ス三週日ニ至リ一人ハ僅ニ三百五瓦減シ他ノ一人ハ半磅以上増量セリ第二十二日二至り従前ョリ業務 ニ堪能ナルヲ認ム以テ疲憊の感ナキヲ證スヘシ、其他日本ノ植物性食物堪能大ナル一例トシテ東京ヨリ日光迄百十基呂迷ノ道程ヲ馬車ニテ夜間走ラセシニ駕馬六囘交換シテ十四時間ニシテ達セリ而ルニ一車夫ハ五十四基呂ノ男子ヲ載セテ同シク百十基呂米ヲ十四時間ニシテ驅走セシコトヲ挙ケタリ


尚ホ氏ハ種々ノ経験ニ據リ肉食べハ瞬時及少時間ニハ強大ナル力作ヲ成サシムルモ力作ヲシテ耐久持重的ナラシムルニハ植物食ヲ主トスルモノニ一籌輸スベシト云フ次二氏ハ植物食ハ良ナリト雖モ歐人直ニ之ニ慣ルルヲ得ズ而ル二日本ノ植物食者ハ速ニ歐食ニ慣ルルヲ舉ゲ日本ノ農夫ニシテ今迄植物食ノミ取リシモノ糖尿病ニ罹ルヤ純粋肉食ヲ取ラシムルモ絶テ糖尿病性譫妄ヲ起スノ虞ナシト云ヘリ


終二付言シテ日本支那ノ主食ハ米ナリトハ誤解ナルヲ挙ゲ日本ニテハ米ハ數年前迄ハ富人社會ノ食物ニシテ農夫ノ如キハ米作スルモ日用ニハ大麥二乃至三分ヲ混和シ若シクハ大麥或ハ小麦ヲ食シ又殊ニ味噌ノ原料タル大豆ヲ食スルト云ヒ次二大豆ノ効能ヲ述べ大豆ハ蛋白質ヲ含ムコト良牛肉ニ倍シ其價ハ約之カ四分ノ一ノミ、且ッ脂肪ハ二十%ヲ含メリト是ニ依テ糖尿病ノ治療ニ大豆ヲ利用シテ次ノ方法ヲ行へリ先ツ純粋肉食ヲ取ラシム而シテ糖分尿ニ出テサレバ肉ト大豆トヲ等分ニ興へ之ニテ尚ホ糖ノ排泄ナケレバ大豆三分ニト肉三分一トヲ取ラシム而シテ尚糖出テサレバ小豆ヲ以テ大豆ニ代用セリ小豆ハ牛肉ノ如ク蛋白アルモ脂肪ハ却ッテ少シ之ニテ糖分ナケレバ小豆ト麺麭トヲ等分ニ興フ順次此序ヲ経テ處置スルニ多數ノ症例ニテ再ビ米ト菓子ヲ食セシムルモ糖分尿中ニ現發セサルニ至ラシムルヲ得タリト


最終ニ米ハ石灰分ニ乏シキヲ以テ之ノミ與フルノ害ヲ述ヘタリ日本上流社會ニテ米ヲ主食スルモノ、骨質ハ異常ニ軟カニ胸廓ハ長ク狭ク軟カニ肋骨ハ薄ク健康人ニシテ第十肋骨ノ遊動スルモノアリ或ハ之ヲ以テ神経衰弱ノ特微ト爲サンモ実ハ然ラス唯タカカル體格ノモハ神経衰ニ罹リ易キノミ且ツ斯クノ如ク骨質ノ軟キカ爲二小兒ノ衣ニ着ケル紐帶ニテ乳房ノ下ヲ絞扼スルニヨリ窘帶溝ヲ生スルニ至ル是上流祇會ノ徴候ニシテ食物ノ石灰分少キ結果ナリ
(醫學士K.K.抄)

国会図書館デジタルライブラリーより(カラー調整済)

元ネタの書誌情報

『中外醫亊新報』の元ネタはBerliner Klinische Wochenschrift(ベルリン臨床医学週報)1901年26号掲載の論文
「BALZ (1901): Erwin von Balz, Über vegetarische Massenernährung und über das. Leistungsgleichgewicht/ Berlin, klin. Wschr. (1901), S. 689-693」のようです。

これをもとに上記の『中外醫亊新報』の元ネタが書かれたとしても醫學専門誌なのでこれだけでは広まらなかったでしょう。一般的には『碩学ベルツ博士』(昭和14年)国立国会図書館 https://dl.ndl.go.jp/pid/1221189で広まったのかもしれません。



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