ヒーラー・祈祷治療家はなぜ病気・早死にしやすいのか

知人の治療家が還暦で亡くなってしまいました。医学的死因は別にして、ヒーリング治療をずっとしていたからだと私は思っています。いわゆる「気」の感覚がすごく鋭敏で、気の状態を感覚的によく分かる人でした。見えるといってもいいです。

早死にする基本構造

こういう人に往々にしてあるのはその気にとらわれて、無意識的に自分の気と同調させて病気にアプローチしてしまうことです。中国医学的にいうと、自分の魄を患者の魄に同調させて治療を行うということです。気を使った治療でこのようにアプローチすると、自分の持っている魄を消耗してしまいます。魄は肉体を生命たらしめる霊的な体ですから、消耗すると当然生命力がそがれます。生命力がそがれるのになぜそのようなことをするかというと、そのほうが、後述するそがれない身体を作ったり、そがれない技術を身につけたりするよりずっと簡単だからです。

この知人は先生から、「そのような治療をするな」といわれていたのですが、それができませんでした。なぜできないかというときちんと基本的な対処法を学ばずに気を使った治療をすると、意識が気に支配されてしまうからです。

人間の三大欲求・欲望として食欲、睡眠欲、性欲があげられます。これは動物としての人間の自己保存のための欲望なのですが、この欲望にとりこまれてしまうと、心や体を病んでしまいます。心が肉体に支配されるということですね。同じようなことが人間の肉体の一部である気ー魄にもいえるわけです。

対処法はいろいろあるが。。。

このようなことに対する対処法は大昔からいろいろ考え出されてきました。インドでは、中国医学の魄ー五行ー五蔵に相当するものに五大の思想があります。初期仏典のころから身体の五大が不調を来すことによって生じる病を治す法や、対人関係を含む外からの影響で病気になることへの対処法がたくさん生み出されました。中にはいわゆる鬼神による影響、俗にいう霊障への対処法もあります。基本は呼吸法と瞑想で、単純なものから密教の儀軌のような本格的なものまであります。

しかし重要なのは、そのような技法を修する以前に戒を守るということです。戒と律を守ることがなぜ重要なのかは、密教の阿闍梨さんなどには常識なのですが、一般の人はその重要性をあまりわかっていません。

戒より始めよ

宗教は肉体の欲望から心が自由になり、神仏へ向かう修行方法を作り出しました。いろいろな宗教がさまざまな瞑想修行を考え出しましたが、基本的に肉体から心を切り離す構造になっています。そのような修行を続けて行く上で様々な問題点が生じてきます。それには上記のようなものも含まれます。

仏教では戒定慧といいますけれども、戒は仏教徒の守るべ行動規範・自分を律する道徳規範です。戒定慧とならんでいますけれども、この順番が非常に重要なのです。戒を守ることによって正しい定(止観・瞑想)を行える、戒と定を正しく行うことによって智慧が得られるということなのです。戒を守らずに正しく瞑想を行うことはできません。ましてや正しい戒と定ができないのに智慧など得られるわけがないのです。鍼灸業界でもスピリチュアルなことに関心がある方は多いのですが、このことがあまり意識されていないように感じます。仏教に限らずまっとうな宗教なら戒定慧の体系があるはずです。

仏教の十善戒

仏教の戒(と律)の体系はいろいろあります。在家では五戒(不殺生戒・不偸盗戒・不邪淫戒・不妄語戒・不飲酒戒)や八戒(不殺生戒・不偸盗戒・不邪淫戒戒・不妄語戒・不飲酒戒・不得過日中食戒・不得歌舞作楽塗身香油戒・不得坐高広大床戒)などがありますが、基本は十善戒です。仏教における十の悪い行いを(十不善業道)を否定形にして、戒としたものです。以下のような構成になっています。

  • 身(しん:身体の行い):不殺生 不偸盗 不邪婬
  • 口(く:言葉の行い):不妄語 不綺語 不悪口 不両舌
  • 意(い:心の行い ):不慳貪 不瞋恚 不邪見

十の戒各々の説明はここではしませんが、重要なのは身(からだ)と口(ことば)と意(こころ)を節制・抑制することによって、宗教的な意識(智慧)の支配下に置くことを目指すわけです。その上で瞑想を行うわけです。

なぜ戒が重要なのかというと、瞑想にはいろいろな落とし穴があって、仏教では障礙とか魔境とかよんだりしています。これを防ぐ重要な防波堤となるのが戒なわけです。だから上に述べたとおり、戒定慧とならんでいるわけです。

ヨーガでも八支則という修行階梯の最初にヤマ・ニヤマといって、詳細は違えど仏教の戒律のようなものがとりあげられています。

このように、行動を節した上に心と体を意識的にコントロールする技術を伝統宗教は作り上げました。スピリチュアルな行法を簡単に接することできるようになりましたけれども、伝統宗教の方が歴史があるので、修行で生じる障礙・魔境の対策方法の試行錯誤がたくさんなされてきましたので安全な技法が多いです。しかしその多くは、師匠の元で行わないと危険を伴うので口伝になっており、師匠からマンツーマンでおそわるしかありません。

治療で生命力をそがれないようにする方法

中国医学では生命力の根源を魄にもとめますから、これをコントロールする方法を身につけることです。治療としてやる場合も修行としてやる場合も基本的にはおなじです。

中国には主として中国古来から伝わる陰陽五行思想によるものと、仏教伝来によって伝わった五大(地水火風空)思想によるものとがあります。だから中国では魄を陰陽五行の視点で分節化した体系と五大思想で分節化した体系とがあるわけです。

主流は陰陽五行思想にもとづく中国医学をベースにしたもので、中国医学として治療をおこなうか、道家ー道教の流れや儒教の流れの中で育まれてきた修行法ということになります。

五大思想にもとづく対処方法が現在の中国にどれだけ残っているかは不明ですが、インドで作られ仏典が漢訳されたときに、そういったものも訳されました。六朝時代末期から隋・唐初期に活躍した天台大師智顗は漢訳仏典を深く研究し、仏教の瞑想(止観)体系をまとめた書物をいくつか残しています。その集大成が『摩訶止観』です。『摩訶止観』には仏教者がまもるべき行動規範から瞑想の方法、瞑想によって生じる心や体の問題にいかに対処したらいいかを総覧的にまとめ上げました。東アジアの仏教における最大の止観の書で、東アジアの仏教の止観はこれを元にして作られています。

具体的な修行法などは機会があれば別に触れますけれども、基本は呼吸法を行いながら体の五大や五行をコントロールする訓練行います。座ってやる場合、導引-気功などとしてやる場合などいくつも流儀があります。

いづれにせよこういうことがある程度できるようにならないと、気を使った治療をしたら生命力をそがれてしまいます。

止観の書のお勧め本

修行者視点で一般向けに書かれた天台大師智顗の止観の入門書はほとんどないですが、以下の本が一番いいかと思います。ただし絶版で、古本で買うときはプレミア価格になっています。

天台小止観-仏教の瞑想法 上 (NHKシリーズ NHK宗教の時間)アマゾンアフィリエイトリンク

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