陰陽五行や神秘主義的な部分を取り除いて中国医学は発展した、と考える人がいてもおかしくはないが、発展というより大衆化したと表現する方が正確だろう。
実際に日本でも江戸時代の漢方薬や鍼灸は、中国の古医書に書かれてある陰陽五行や神秘主義的な思想を排除して病名治療が主流になった。20世紀、特に戦後は鍼灸の科学化という運動もあった。
それはそれで一定の効果を上げることができる。しかし、取り除いた分によって失ったものは大きい。もともと中国医学を理論化したのは、のちに道士よばれる人たち、仏教で言うなら密教の修行の理論を作った人たちである。彼らが作ったものには宗教的観点からの理論が骨格としてあった。この部分を排除して失うものは、その世界を知っている人にしかわからない。
陰陽五行などの神秘主義的な思想を否定する人たちは、失うものがあるという感覚はないのかもしれない。ある人が、「知っているけど知らないということと、知らないことを知らないということがある」と言った。これは言いかえれば自分の殻の中からしかものを見たがらない人たちがいるということだ。
いくら学ぼうとも、知らないことへの畏敬の念を持たないと、自分の殻から抜け出せない。殻を抜け出そうと努力する人にしか理解できない世界があって、そこへ導いてくれる賢者・先達も現れない。失うものの重要性もわからないだろう。
余談だが陰陽五行、その他の神秘主義的思想を受け継いだのは陰陽師や修験者かもしれない。しかし今ではそれも風前の灯のようだ。