11/16日に竹村牧男先生の「空海の人間観-『十住心論』の「帰敬頌」を読み解く」という講座があります。配信のお手伝いとして私も参加します。打ち合わせでレジュメをいただいたのですが、けっこう難しいので予習しようと、ちくま文庫から出ている『十住心論』の帰敬頌のところだけ読んでみたら、少し理解が進みました。
それはともかく、別ページを適当に開いたら、空海が五行に言及しているしている記述を発見。愚童持齋住心第二、第四節五戒のところ。五行における五常(仁義礼智信)からはじまって有名な『尚書(書経)』洪範篇の記述とその注釈書、『春秋左氏伝』の襄が二十七年の五材の部分などを引用しています。
『尚書』(鹿島注:『書経』のこと)の洪範にいわく、「五行といっぱ、一にはいわく水、二はいわく火、三はいわく木、四はいわく金、五はいわく土なり〈みなその生ずる数なり〉。水をば潤下といい、火をば炎上といい〈いうこころはその自然の常の性なり〉、木をば曲直といい、金をば從革といい〈木は揉めて曲直にすべし。金は改め更うべし〉、土をば稼穡という〈種うるを稼といい、斂むるを稼穡という。土をばもって種うるべく、もって斂むべし〉。潤下は鹹きことを作す〈水鹵の生ずるところなり〉。炎上は苦きことを作す〈焦れたる気の味なり〉。曲直は酸きことを作す〈木の実の性なり〉。革は辛きことを作す〈金の気の味なり〉。稼穡は甘きことを作す〈甘き味は百穀に生る。 五行より以下は箕子が陳ねたるところなり〉」。
『正義』(鹿島注:『尚書正義』のこと)にいわく、「これより以下は、箕子が陳ぶるところなり。第一にはその名の次いでをいい、第二はその体性をいい、第三はその気味をいう。五というものは性異にして、味別なり。各人の用たり」と。
『書伝』(鹿島注:『尚書大伝』のこと)にいわく、「水火は百姓の飲食するところなり。金木は百姓の興作するところなり。土は万物の資生ところなり、これ人の用たるなり。五行はすなわち五材なり」。
襄が二十七年の『左伝』(鹿島注:『春秋左氏伝』のこと)にいわく、「天、五材を生す。民並びにこれを用ゆる。五ということは各材幹あるなり。これを行ということは、もし天に在るときはすなわち五気流行す。もし地に在るときは世の行用するところなり」。
昭が元年の『左伝』にいわく、「天に六気あり〈いわく陰陽・風雨・晦明なり〉、降りて五の味を生す〈いわく金の味は辛く、木の味は酸く、水の味は鹹し、火の味は苦く、土の味は甘く、みな陰陽・風雨に由りて生ずるなり〉。発われて五の色をなす〈辛の色は白 、酸の色は青し、酸の色は黒し、苦の色は赤し、甘の色は黄なり。発は見なり〉徴われて五の声となる〈白の声は商、青の声は角、黒の声は羽、赤の声は徴、黄の声は宮なり。徴は験なり〉」と。※『空海コレクション3 秘密曼荼羅十住心論<上>』福田亮成訳 ちくま学芸文庫 P228(一部引用者改変)
この部分は五行の成り立ちで有名な部分なのですが、空海の時代の日本でもすでに五行説成立過程のことが知られていたこと、空海が『尚書』の注釈書にまで目を通していたことに、すこしびっくりしました。
中国仏教ではインド由来の五大をもとにした身体観に、中国思想・中国医学の五行にもとづく身体観も修行体系に組み入れられています。特に隋から唐にかけて活躍した天台大師智顗の止観論は東アジア仏教の止観(瞑想)論に多大な影響を与えました。そのころには道教もかなり体系化されていて、その影響もあります。空海や最澄が唐に渡ったのは智顗の時代から200年くらい後の時代です。
空海の五行説への言及はいくつもありそうですし、それに関する論文も探せば出てきそうです。