Q&A陰陽調和とはなにか?

中国医学の教科書で陰陽調和というのが出てきますが、これについて先生どうお考えでしょうか?

こういった質問をときどきいいただくことがあります。この問題は簡単そうにみえ教科書的な本にも書いてありますが概念的なものが多く、実際問題として考えると実に難しい問題で、臨床と結びつけてちゃんとした答えを述べているのを中国医学界隈で見聞きしたことはありません。

そもそも陰陽というのは太極(玄・混沌)から気の働きによって現象した世界を二分節化してかんがえていく発想です。現象したものが調和するというのは厳密には現象が止まることです。人にとっては生命現象が止まることなのです。

妥協的な説明としては陰陽調和とはゆれうごく現象世界の変化への対応できるようにすることであるものの、完全に陰陽調和するということは生命現象が停止することだ説明することは可能ですが、ちょっと苦しい。

ただし私は仏教徒なので、現象世界は陰陽調和などなく、縁起の法、つまり業による因果律、因と縁によって生じていると考えています。仏教において陰陽調和に相当するとすれば、解脱、大乗仏教だと空の体得になりますけれども、業の世界を超えたところに人としての理想を置くことになり、そのような視点から現象世界を見ることになるので、中国哲学の考えとはまったく違ってきます。中国だと道家の道の思想に近いようには思います。

大乗仏教では空を体得した境地を勝義諦といい、世俗の原理は世俗諦とよびます。世俗の世界に調和があるとすれば、勝義の視点を前提として生きるということになろうかと思います。それは悪業を積まないように善業を積む努力するというのが基本です。

中国医学だと病気は陰陽が不調和なゆえ生じたと考えるわけですが、上記ような視点で人の健康を考えていくと、過去に積んだ業の結果であり、病気として現れるのは長い長い輪廻の過程で考えると、病気で早逝したとしても、理不尽な死に方をしたとしても過去に積んだ業(それは悪業か善業かはわかりません)を乗り越えるための試練であるともとらえることが可能になってきます。仏教徒でなくてもそのように考える方はたくさんいます。

私は子供の頃から持病があって何度か死にかけてますが、それが縁で中国医学と出会い仏教と出会い、昨年還暦を迎えました。私にとって病気とは中国医学と仏教を学ぶステップだったっと解釈することが可能です。

老子のいう有名な「無為自然」や道の思想は人としてのある種の理想型なわけですが、仏教の縁起・空思想と共通する点が多いように思っています。古代の中国では天の六気、地の五行、人の六合の視点から、天人相関させるのをひとつの理想型として生み出したわけですが、『素問』の上古天真論の冒頭にあるとおり、人が天人相関しないような生き方をするようになって病気が生じるようになったと考えています。天人相関しない生き方というのは、仏教でいうと悪業を積むことと似ているように思えます。そういうことを考えると、「無為自然」や道の視点は現象世界を超えたところに設定しないと成立しないように思います。そこに仏教との共通点を感じます。

とりとめのない説明ですが、道・「無為自然」の視点から、古代の中国人が考え出した現象世界の原理である天の六気・地の五行・人の六合を考えることが世俗諦としての陰陽調和にあたると考えるのはどうでしょうか?儒教なら太極観を前提とした道徳観を持って生きることになるのでしょうか。

※業思想を持ち出すのはいろいろ誤解を招くことが多いのですが、通仏教的にはそう考えるということで、この点のツッコミは無しということでお願いします。

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