脉診法の構造のこと

『黄帝内経』『難経』『傷寒論』に記載されている古代医学の種々の診察法は、それぞれに世界観や人体観・病理観があってその構造にしたがって組みたてられています。なにが診察できてなにが診察できないかはその時点で決まっています。それを言語化できないのは分かってないか、体系に問題があります。

例えば『素問』の脈要精微論篇に記載のある臓腑を診る脈診法は、傷科を診る脈診法です。基本的に他のものはみられません。他の脈診法と折衷して無理やり診ることはできますが、つぎはぎ感が出てきます。

六祖脈や八祖脈は学校で習いますが、なにを診るかによって、たとえば傷寒の脈診と傷科の脈診とでは意味と脈状が違ってきます。現代中医学の入門書に書いてある八綱弁証の脉状は『傷寒論』をベースにしています。このことは中医基礎の教科書にも載ってないので注意が必要です。

張景岳が著作の中で「数脈が熱とは限らない」ということを書いたのも科目によって数脈の意味づけが違うことを知っていたからです。貧血で陽気が不足している時には熱がないのに数脈になることがあります。熱でも傷寒と陰虚の熱の数脈では脈状が違います。

このように脈診には何を見るのかといういう世界観・病理観があるのですが、日本ではそれが重要視されてきませんでした。だから中国の古典の脈診法の本来の意味が理解されてきませんでした。

龍みたい
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