雑誌の『ゲンロン』に前々から興味があったんだけど、値段で躊躇していたら古本屋で安くで売られているのを見つけたので買ってみた。うれしいことに安藤礼二先生と中島隆博先生の「井筒俊彦を読み直す」という対談が掲載されていた。井筒先生の思想遍歴の鍵は老荘思想にあるという安藤先生の指摘がすごぶる興味深い。この数年で井筒先生の英文著作が翻訳されたので、一般の日本人にも読めるようになった。
井筒先生の邦文著作では老荘があまり語られていないのだが、英文著作にはいくつかあって、『老子』の英訳もある。西はイランのイスラーム、特にイブン・アラビーのスーフィズム、東は大乗仏教、とくに最後の著作となった『意識の形而上学』における『大乗起信論 』の如来蔵思想をキーとして論じられる傾向にあった。しかし安藤先生によると東は老荘思想が重要で、老荘とイブン・アラビーを結ぶのが大乗仏教の如来蔵思想だという。イブン・アラビーの神学から神の概念を取り除けば老荘思想の道(TAO)-徳(気)論と同じ構造をしている、それをつなぐのが如来蔵思想だというのだ。
「安藤 井筒の『「大乗起信論』の哲学』によると、『大乗起信論』には、あらゆる分節作用を払拭した絶対的な一なるもの、つまり「真如」が、現象的世界のなかでさまざまな事物に自己分節していくプロセスが描かれています。そのとき、分節可能性を帯びて起動する状態のことを如来蔵と呼びます。井筒は如来蔵を「無限に豊饒な存在生起の源泉」と表現し、これを老子やイブン・アラビーの哲学とつなげて論じました。」(『ゲンロン11』P213)
たしかに井筒先生の主著とされている『意識と本質』には宋儒と周易の話は出てくるが老荘に対する言及はほとんどない。私は学生時代から『意識と本質』を何度か読み直してきたんだけど、その部分に対する違和感があった。『意識と本質』は、イラン革命によって長い海外生活から帰国した後に書かれたものだから、老荘への言及はそれまでに一区切りついていて、研究の対象が大乗仏教に向かったのかもしれない。
ということで井筒俊彦英文著作翻訳コレクションの『スーフィズムと老荘思想 下』を読まねばならない。。。