心神喪失という言葉があります。ちょっと古いですが『平成3年版 犯罪白書 』に、
「精神の障害によって,自己の行為の是非善悪を弁別する能力を欠くか,又はその能力はあるがこれに従って行動する能力がない者は,心神喪失者として,刑罰を受けることがなく」
『平成3年版 犯罪白書 』第1編/第2章/第6節/2
と定義されています。
法的・精神医学的な定義はともかく、心神という単語はどこから来たのでしょうか?現在一般的なイメージとして心は「心の問題」「心に残る」といったときの心を思い浮かべると思います。だとすると、神は神様?あらためて問われると「なんか変だな」と思う方が多いんじゃないでしょうか?
精神医学として心神という言葉が使われ始めたのはたぶん明治時代だと思います。近代科学や思想が欧米から入ってきたときに、対応する日本語がほとんどなかったので、漢籍の知識をもとにしてたくさん造語しました。学校で習う学問的な用語の多くは明治以降に作られました。心神という語もおそらくそうだと思います(違ってたらご指摘ください)。
心神という言葉はおそらく中国医学由来の心と神で、そうすると今みなさんが思い描く心や神のイメージとはかなり違います。
神は二種類の意味があります。ひとつは人の根源的な意識、インドでいうアートマンみたいなニュアンスですが、これは難しいのでおいておきます。もうひとつは覚醒しているときの意識で何かを考えたり判断するときの理性的な意識を神といいます。心神というときの神は後者の方です。精神というときの神も同じです。
では心は?心は心蔵でしょう。心臓ではなくて心蔵。中国医学では神を宿す気を心蔵とよびます。解剖学的な心臓と密接な関係があります。人間の肉体を生命たらしめている気(魄)を五つに分けたのが五蔵で、そのうちのひとつが心蔵です。
明治時代に現在でも使われる言葉の意味で心神という用語を作った人は、理性的な意識とそれが働く場という漢籍の意味をふまえて造語したと思います。だから心神喪失というのは理性的な意識が働く場が病になって理性的意識が働かない状態をさすと考えたのでしょう。
そういう造語のときのニュアンスが忘れ去られて「精神の障害によって,自己の行為の是非善悪を弁別する能力を欠くか,又はその能力はあるがこれに従って行動する能力がない状態」を心神喪失と考えるようになったんだと思います。
中国医学・鍼灸医学では五蔵と五臓を治すことによって心の病いを治す方法がたくさん考えだされ、臨床効果を試してきた歴史があります。当院でも伝承されてきた方法で、対処しています。