気一元論と陰陽五行、世界の分節化という発想

 以下の文章は2023年の4月と5月に仏教サロン京都で行った五行論の導入として行った講義をまとめたものです。本年2024年の5月におこなう「古代中国の神秘主義的人体論」の導入部分に使うために再編集してみました。ここから『黄帝内経』の人体論がどのように展開するかが今年のテーマです。

 気という漢字のは水蒸気をあらわす象形から作られたものと思われる。沸騰した水は気化して見えなくなったり、冷えると液体になったり、零下になると凍って固体になったりする。このように現象世界の中で絶えず物質に働きかけ変化をうながす力の存在を、古代の人は感覚体験の背後に感じていた。気が凝縮すると形ある物が生じ、気が拡散すると形が崩れると考えるようになる。そこから気の凝縮と拡散によって現象世界は流転すると考えるようになった。このような考え方を気一元論とよぶ。

 殷代以前から上天・上帝思想というものがあった。

1)上天・上帝は、ユダヤ教のヤハウェ、キリスト教の神、イスラム教のアッラーなどと同じく、意志や感情を持つ人格神であり、なおかつ身体・形象を持たない形而上的存在とされる。


2)「帝」という文字は、「殷王朝の時代には殷王の祖先(先王たち)の霊を指して」いた。
3)上帝とは「多神教的世界における最上の神霊の意味」であった。


4)殷の時代における天は『説文解字』によると「人の頭頂部を強調した形で、「大」と同義で用いられる例が多く、周代以降の絶対神の意味は全く見いだせない」。


5)周以降の人々には上天と上帝は同一の神格と理解された。上記のために、同一の神が上天と上帝というふたつの名称を持つ。


6)上天・上帝思想は墨家や儒家などが受け継いだ。

『古代中国の宇宙論』浅野祐一 岩波書店のまとめ

 上天・上帝は現象世界の根源で、地上世界に絶えず働きかけており、それは陰陽・五行・三才・六気等々といった術数的な法則性を持っている。それゆえ人はその法則性をもとにした生き方をするのが神の意志に沿うものだと考えるようになる。

 地上世界を治める帝は、神の意志に沿った政治をおかなわないと神の怒りにふれ、世に悪いことが起きる。神の意志(天命)に沿えなくなった帝は、神の意志に沿うことができる新しい帝に取って代わられる。これを革命(天命を革(あらた)める)という。

 のちに天の法則(陰陽)は伏羲が体系化し、地上の法則は神農がまとめ、天と地が交流する場(六合)を治める理論を黄帝が作ったという神話がつくられるようになった。

 道家では上天・上帝のかわりに現象世界を超越した、あるいはそれが存在する前の状態を道(TAO・混沌・玄・太一など)を、気のかわりに徳の働きによって道から現象世界が生じるという考えを作り出した。

道之を生じて、徳之を畜(やしな)い、物之に形(あら)われて、器之になる。是(ここ)を以て万物は道を尊びて(徳を)貴ぶ。

(『老子』五十一章池田和久 講談社学術文庫 p208)

 陰陽・五行・三才・六気等々といった術数的な法則性にしたがって修道することが道の人であり、究極的には無為(無意)であることを理想とするようになる。

【原文】道常無爲、而無不爲。侯王若能守之、萬物將自化。

【訓読】道は常に無為なれども、而も為さざる無し。侯王若し能く守らば、萬物将に自ら化せんとす。
【和訳】道は常に無為であるけれども、為さないことはない。諸侯のような為政者がこのような態度を守るのであれば、萬物はまさに道のはたらきをうけて生成変化をなすであろう。

『老子』三十七章

 形と気という発想から、形而上・形而下という言葉が使われるようになった。古代の人にとっての現象世界は、形而下的な物だけを認める唯物論的な発想ではなく、形而上的な現象世界をも含めたものであった。それゆえ心や神的・霊的な世界も含まれる儒家の経典である『易経』に

「形而上なるもの,之を道と謂ひ,形而下なるもの,之を器と謂ふ」

『易経』繋辞伝

とある。道家では形而上的な世界を超えた、あるいはその根源に道を設定し、現象世界を器と考えた。理想的な現象世界は道を盛る器であるべきだという考えを道器論という。

 盛る器が正常に機能するためには、器が陰陽・三才・四時(季節)・五行・六気等々の術数的リズムで変化している必要がある。為政者はそのようになるような政治を行い、医家はそのような身体になるように人の身体を調整する役目を担っている。

 道家の場合、器はどのように生じるのか?

(原文)道生一、一生二、二生三、三生萬物。

(訳)道は(徳の働きによって)一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生じる。

『老子』42章

 これは「現象世界を超越した道から徳の働きによって現象世界の根源(一)が生じ、それが天地(二)を生じ、さらにそこから天地が交わる場(三)が生じた。ここから萬物が生じる。」という意味。

 天地が交わる場が人とされ、天地人という考え方が生まれた。これを三才思想という。この三才思想にもとづいて中国医学ではさまざまな考え方が作られた。

 天には六気があり、地には五行(五運の気)があり、人には六合(東西南北と上下)がある。これは人体にも当てはめ、天の六気を六府に、五運を五蔵に六合を衛・気・営・血の昇降出入と考えるようになった。これに経絡理論が合わさることになる。このような人体モデルの構造からいくつもの診察法が生み出されて中国医学の基礎ができた。

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