鍼灸で本を治す、本治法ということ その1

X に投稿したものをまとめて加筆したものです。

精神科医の某先生は、少なくとも心の中に原因を求めても現在困ってる症状の原因かどうかわからない。それよりも今現在の認知の構造、行動の目的に注目して治療すべきと主張した。

中国医学も現在の体の陰陽五行の状態を把握して、それを狂わせてる要因を片付けるのが第一優先。現代中医の臓腑弁証も含めて症状追いかけても本治にはならない。まあ対処療法で片付くことは多々あるけど、ちまたの本治法なんて、本当の意味で本治になってることはほとんどないと思っていた方がいい。いいかげん、『難経』六十九難を本治法なんていうのはやめた方がいい。

本当の意味での本治法なんて人の神(中国医学でいう人間の心の根源)にある阿頼耶識(仏教でいう心の根源)に蓄えられてる種子(習気=業の志向性)の方向性を変えるしかない。それとても、今現在の刹那の状態を起点とすべきものであって、その刹那の原因を過去にたどっても意味ないのである。今この刹那に行っている過去の意味付けを変えるのが習気を変える基本である。

だから治療においては養身だけでなく養神の道、つまりタオイズム・仙学が古代においては説かれていた。道家の無為自然というのは人の神の本来の姿があらわれるようになることであって、「無“意”自然」あるいは「神者無“意”自然」とでもすべきものかもしれない。ところが具体的な技術は中国医学ではそれは完全に口伝か、道教の書物の中で門内の人間で口伝を受けた修行者だけにわかるように書かれているので門外漢に理解はまず無理。

いずれにせよ、中国医学から宗教性という迷信を排除することが重要というのは、その養神の道の否定なのだから、古代の中医が目指した本を治すことを否定することと同じなのである。そのことを理解せずに本治なんていっても、人の深いところが見えてないと宣言しているようなものだ。

黄帝内経に通底する黄老思想が面白いのは為政者の治身が治国に繋がることであって、それを天命を受けるとしたこと。ほしいままの生活をするということは、天命が受けられなくなることであって、天命が別の人に移る。これを天命が革(あらたま)る、革命という。

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