名人は脉など見ない?

あるとき「名人は脈など診なくても問診だけで治療する」という考えがあるのを知って驚いたが、現代中医学はそんな傾向にあり、それは前々から日本の臨床家から批判されていたりする。現代中医学の脈学は『傷寒論』の脈学から説明しようとするのでそういう発想になるのかもしれない。

外れてるかもしれないが、最近は『傷寒論』に記載の脈学は傷寒論を簡便に使うために作ったものではなかろうか、と考えている。傷寒論の構成薬はあの脈学からは出てこないんじゃないかな?とも考える。

張仲景が書いたものじゃない可能性が高い序文には、『素問』『九巻』『八十一難』『平脈弁証』『陰陽大論』『胎臚藥録』などを参考にしたとあるからもっと細かく脈を診て構成薬を考えたはずである。構成薬や分量を細かく変えたりするための脈診法は口伝だったのかもしれない。

さらに序文の後半には「寸不及尺握手不及足人迎趺陽三部不參動數發息不滿五十短期未知決診九侯曾無髣髴明堂闕庭盡不見察所謂窺管而已」とあるから、高度な診察法をいろいろ合算して診ていたはずである。

序文は巷の医者のやっていることの批判に満ちていているんだけどそれは、今の現代中医学の教科書レベルの問診に多くを割く専門家にも当てはまるだろう。『傷寒雑病論』は張仲景がやっていた治療の極々一部で、そこには書かれていない高度な診察法を合算していたことに間違いないはずである。

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