感情で五蔵の虚実を判別し、五味で補瀉する鍼灸医学の話

中国医学で五蔵の虚実を診るのにいろいろな診察法があります。漢方や鍼灸の教科書に載っているもの以外にも、字や絵・色使いといった心理療法でも使えそうなものから、手相や人相・風水といった占い系の相術まであります。占いの種類を命・卜・相にわけますが、四柱推命や宿曜のような命術、易占のような卜術なども含めて、多くは中国医学から生まれたか、中国医学のベースにある古代の哲学的なものから派生したものです。

今回は感情で五蔵の虚実を判別し、補瀉する法を書いてみたいと思います。臨床では初診の問診時に問診表の字と書いてある内容と、喋り方から感情を鑑別して五蔵の虚実の傾向を予測したりするなんてことをするわけです。

これは私が習った中華伝承医学を入門者向けに行った講義の一部なので、一般の方には少しイメージしにくいかもしれません。

基本的な考え方

自然界の流転は天の気と地の気が交流することによって生じます。自然に呼応している人間の体にも天の気と地の気があって、両者が交流することによって生命活動が生じ、そこに意識が宿ると考えます。身体の天の気と地の気の交流が乱れると病が生じ、意識もそれによって影響を受けます(詳しい説明はここでは避けます)。

人体の天の気と地の気のベースになるものが五蔵です。だから五蔵の状態と意識の状態は深く関係していて、五蔵の虚実にしたがって意識に問題が生じます。これが七情(怒喜憂悲思恐驚)です。逆にいうと七情の状態を観察することによって五蔵の虚実の傾向を診ることもできるわけです。

ここでは五蔵の虚実とそれに対応する七情、それを補瀉するのに患者さん向けのアドバイスになるように、五味(酸苦甘辛鹹)を使う法を述べます。五味を使わずに鍼灸や漢方で補瀉する方法は専門的になりすぎるので、ここでは述べません。五味で対処できるレベルだと考えておいてください。

肝の虚実 憂いと怒り

肝が虚すと憂いが生じます。心配性になるということですね。心配になって憂うのがイライラを引き起こします。心配しすぎると肝が虚すとも考えるのでどちらが先かは難しいところです。心配するのは先のことを考えたり見たりするのを怖がっているんです。現代中医的には肝鬱気滞といいます。

肝虚の治療は結論を考える勇気を持つように導いてやることなんですが、五味だと辛味を取って気のめぐりをよくしてやります。気滞を流すとイメージするといいでしょう。

肝実になると怒りが生じます。何に対しても腹がたってイライラします。肝実は発散させるのが治療の基本です。五味では酸味をとります。酢やレモンなどがまず思い浮かびますね。

肝虚は気をめぐらせる、肝実は気を発散させる、似ていますが違いがわかりますでしょうか?

心の虚実 ぶつぶつ独り言をいうのとけらけら笑う

心虚の人はぶつぶつ独り言をいいます。「心は虚さない」とよく言われますが、本来は心が虚すと死にます。独り言をぶつぶついうのは精神的に虚しているんですね。本当の虚ではない。治療できるレベルの虚です。これは心包の虚として、心虚とは分ける考え方もあります。

心虚を五味で治すには鹹味をとります。手っ取り早いのは塩ですね。食卓塩のような塩化ナトリウムじゃなくて、天日干し塩や岩塩がいいです。

心実、ほんとうは心包実なのですが、このときの七情は喜、やたらけらけら笑うことです。10代後半の女の子を表すのに「箸が転んでもおかしい年頃」なんていう慣用表現がありますが、心包実でけらけら笑ってるわけです。ちょっと躁的な感じで笑う。何でもかんでも喜ぶのは疲労から来ているので、甘味をとります。あとはしっかり寝ていたらいいです。ただ女性は甘味、糖質をとりすぎていることが多いです。

脾の虚実 畏れと思

五行の表で、脾には思が割り当てられています。口伝ではこれは畏れと思い込みに分けて虚実に当てはめます。どちらもあれこれ考えるのですが、脾虚の思は怒りや他人への批判・悔しさ・反省心からあれこれ考え込んでしまう思いのことで、これを畏れといいます。恐怖の怖れとは違います。外見的には考えすぎて決断できない感じです。寛大な気持ちになることが重要です。五味では甘味をとって心を落ちつけます。

脾実の思は思い込み、つまり自分勝手で強情な性格をイメージするといいでしょう。五行論で思は気を結ぶといいますが、そのときの思は肺実の思です。こちらも寛大になって、まわりの意見を謙虚に聞くように心がける必要があります。基本的に胃腸が丈夫なので内熱が生じやすいので、五味では苦味をとります。コーヒーを思い浮かべる方は多いですけど、苦味に少し鹹味が入っています。ニガウリ、グレープフルーツ、緑茶なんかがいいでしょう。

肺の虚実 憂いと悲しみ

肺虚は悲です、なんでも悲観的になって、自分はだめな人間だと思う憂鬱な感情です。肺実は憂いです。思慮深いけれども説教臭くなります。少し怒りを含んでいるんですね。憂国という言葉がありますが、国を憂うのは国の政治や経済のだめなところをあれこれ考えて腹を立てて「こうした方がいい」という説教臭い思いがあるわけです。どちらもだめなことに意識を向けて少し怒りがあるが、そのだめなことが自分にあると考えるか、自分の外にあると考えるかで虚実が違ってきます。

治療としては怒りを発散させるといいです。自分への怒りなのか、自分以外への怒りなのかによって、怒りを発散させる仕方は違ってきますが、とにかく発散させる。怒りを表に出してもいい。五味としては酸味をとります。酸味をとって怒りから生じる緊張をゆるめるわけです。

腎の虚実 恐と驚

腎虚は驚です。これは戦慄が走るとかぞっとするやつです。ちょっとしたことで大げさに驚いて被害妄想になりやすい。五味は苦味を使います。

腎実は恐です。「火事場の馬鹿力」という慣用句がありますが、非常に驚くようなことがあっても開き直って馬鹿力だして対処しようという意欲が湧いてくる感じです。五味では鹹味をとります。鹹味をとると開き直ってどっしり構えられるようになります。

恐も驚もどちらも「おそれ」がありますけれども、それを避けようとするか、対処しようとするかで虚実が違ってくるわけです。

注意点

・五蔵と七情と五味について取り上げていますが、五味に関しては五蔵の虚実に対して、五行の相剋関係や相生関係がきっちり当てはまるわけではありません。五味のダブりもあります。たとえば肺虚のときも肝実のときも酸をとります。これは臨床的にうまくいくかどうかを優先させているからです。

・生活習慣として五味の好みによって、五蔵の虚実と七情を推測することはできないです。あくまでも五蔵の虚実から生じる七情を治すために五味をつかうということです。論理学の基礎ですが「AならばB」が真ならば「BならばA」も必ず真であるといえるわけではないということです。

・五味の治療もとりすぎると当然悪影響がでます。

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